「美しい物語」の裏側にある、産業の現実
2000年代後半、ブルックリンから始まったBean to Bar(ビーン・トゥ・バー)の波は、チョコレート産業に「革命」をもたらすかに見えました。
📌 Bean to Barとは?
Bean to Bar(ビーン・トゥ・バー)とは、カカオ豆(Bean)の選定から板チョコレート(Bar)の完成まで、すべての製造工程を自社で一貫管理するチョコレート製法です。大手メーカーが複数産地のカカオ豆をブレンドして大量生産する従来の手法とは異なり、単一産地のカカオ豆の個性を最大限に引き出すことを重視します。
この理念は、均質化された大量生産チョコレートへのアンチテーゼとして、世界中のチョコレート愛好家を魅了しました。
しかし、Bean to Barチョコレートは重大な岐路に立たされています。
本記事では、Bean to Barの歴史を振り返りながら、**なぜクラフトシップだけではカカオ産業を変えられなかったのか**、その構造的課題を徹底的に分析します。

Bean to Bar工房:カカオ豆から手作りで作られるクラフトチョコレート
第1章:Bean to Barチョコレートの黎明期 ― クーベルチュールへのアンチテーゼ
Bean to Bar黎明期:ブルックリンから始まったクラフトチョコレート革命
「カカオ豆の個性」を取り戻す戦い
20世紀のチョコレート産業は、クーベルチュール(couverture)、つまり大手メーカーが製造する業務用チョコレートが支配していました。カカオ豆は複数の産地から大量に買い付けられ、巨大な工場で効率的に加工され、均一な味わいのチョコレートとして世界中に流通していました。
この「効率優先」のシステムは、確かに安価で安定したチョコレートを大衆に届けることに成功しました。しかし同時に、カカオ豆が本来持つ「産地ごとの個性」は完全に失われてしまったのです。
ちょうどワインがブドウの品種や産地によって味わいが異なるように、カカオ豆もまた、育った土壌、気候、発酵方法によって全く異なる香りとテクスチャーを持ちます。しかし、大量生産の波に飲み込まれたカカオ豆は、その「声」を失っていました。
マストブラザーズの登場 ―― ブルックリンから始まった革命
🗓️ 2007年:マストブラザーズ(Mast Brothers)創業
リック・マストとマイケル・マストの兄弟が、ニューヨーク・ブルックリンで創業。「カカオ豆からすべてを自分たちの手で作る」というBean to Barコンセプトを掲げ、手作業での製造、美しいパッケージデザイン、ストーリー性のあるブランディングで一躍注目を集めました。
1枚10ドルという当時としては破格の価格設定にもかかわらず、Whole Foodsをはじめとする高級スーパーに並び、「クラフトチョコレート」というジャンルを確立しました。
🗓️ 2010年:ダンデライオン・チョコレート(Dandelion Chocolate)創業
シリコンバレーの起業家、トッド・マソニスとキャメロン・リングが、サンフランシスコで創業。「Bean to Bar」をコンセプトの中心に据え、カカオ豆の選定、焙煎、成形まで、すべてを透明性を持って実施。
ダンデライオンは、製造工程を見学できる「ファクトリー&カフェ」というスタイルを確立し、顧客がチョコレート作りの現場を体験できる場を提供しました。これにより、Bean to Barは単なる「製法」ではなく、「体験」として消費者に届けられるようになりました。
マストブラザーズとダンデライオンの登場は、チョコレートを「工業製品」から「工芸品(クラフト)」へと再定義する動きを加速させました。
―― Bean to Barチョコレート初期のマニフェストより
運動の広がり ―― 日本への波及
2010年代半ば、この波は日本にも到達しました。2016年、ダンデライオン・チョコレートが東京・蔵前にファクトリー&カフェをオープンすると、日本のチョコレート愛好家の間で大きな話題となりました。
Minimal(ミニマル)、Green Bean to Bar Chocolate(グリーンビーントゥバーチョコレート)など、日本のBean to Barメーカーも次々と誕生し、独自の美学と技術でチョコレート文化を豊かにしていきました。
カカオ農家の現実:極貧ライン以下で働く生産者たち
第2章:Bean to Barチョコレートの「光」―― 何を達成したのか
Bean to Barがもたらした「光」:産地ごとの個性を楽しむ文化の誕生
Bean to Barチョコレートは、確かにチョコレート産業にポジティブな変化をもたらしました。
✅ 達成したこと
🌱 1. カカオ豆の「個性」の復権
産地ごとの香りや味わいの違いが、ワインのように評価されるようになりました。
サンフランシスコのダンデライオンは、単一産地(シングルオリジン)にこだわり、エクアドル、マダガスカル、ベリーズなど、それぞれの産地の個性を際立たせたチョコレートを展開。「マダガスカル産=ベリー系の華やかな香り」「エクアドル産=フローラルでナッツ感」など、カカオ豆がテロワールを持つことを消費者に伝えることに成功しました。
🔗 2. トレーサビリティの向上
「誰が、どこで、どのように作ったか」が明確になり、消費者との信頼関係が深まりました。
Minimal(ミニマル)やGreen Bean to Bar Chocolateなど、日本のメーカーはカカオ農家の顔と名前をパッケージに記載し、農園訪問レポートをWebサイトで公開。消費者は「このチョコレートは、インドネシア・スラウェシ島のアブドゥルさんが育てたカカオ豆」と知ることができ、チョコレートが「顔の見える商品」になりました。
👨🍳 3. 職人文化の復活
チョコレート作りが「芸術」として再評価され、若い世代が職人を志すようになりました。
マストブラザーズやダンデライオンは、製造工程を公開する「ファクトリーツアー」を実施し、消費者がチョコレート作りの現場を体験できる場を提供。また、Bean to Barの技術を学ぶワークショップが世界中で開催され、「自分でチョコレートを作る」という新しいライフスタイルが生まれました。日本でも「カカオラボ」など、Bean to Bar製造を学べる施設が増加しています。
📚 4. 消費者教育の深化
チョコレートの「味わい方」「選び方」が、コーヒーやワインと同様に議論されるようになりました。
Bean to Barの普及により、「カカオ含有率」「焙煎度」「産地」を意識してチョコレートを選ぶ消費者が増加。ダンデライオンは店舗で「テイスティングフライト」(複数産地の食べ比べセット)を提供し、チョコレートが「嗜好品」として深く楽しまれるようになりました。また、チョコレート専門雑誌やSNSでの情報交換も活発化しています。
これらは疑いなく、Bean to Barチョコレートがもたらした「光」です。
第3章:Bean to Barチョコレートの「影」―― 構造的課題の露呈
⚠️ しかし、クラフトシップだけでは限界に来ている
Bean to Barチョコレートから約15年が経過し、この運動が当初掲げた理想と、現実との間に大きなギャップが生まれていることが明らかになってきました。
📉 課題1: 市場規模の停滞とメガプレイヤー不在
Bean to Bar市場は確かに成長していますが、その成長率は期待されたほど高くありません。
さらに問題なのは、メガプレイヤー(大手企業)が全く生まれていないことです。マストブラザーズもダンデライオンも、年商数億円規模の中小企業のままです。
📄 エビデンス:企業規模の差
● Bean to Barメーカー
・ 従業員数:約75%が10名以下の小規模事業者(Alic 2021調査)
・ 売上規模:年商数千万円〜数億円
・ 市場シェア:世界チョコレート市場のわずか10.7%
● クーベルチュール大手メーカー
・ Barry Callebaut:世界最大のカカオ・チョコレート製造企業、年間生産量200万トン超
・ Lindt & Sprüngli:スイスの老舗メーカー、年間売上高約49億スイスフラン(約640億円)
・ 日本国内:明治・ロッテ・森永・グリコが売上上位を占め、各社数百億円〜数千億円規模
→ 售価や従業員数で見ると、Bean to Barメーカーと大手メーカーの間には「桁違いの規模差」が存在します。
結果として、Bean to Bar業界は小規模事業者が乱立する「レッドオーシャン」となり、個々のメーカーは生き残りに苦しんでいます。
🏭 課題2: 労働集約的製造からの脱却失敗
Bean to Barの「手作業」という美学は、同時に生産性の低さを意味します。
カカオ豆の選別、焙煎、摩砕、テンパリング、成形——すべての工程が人の手に依存するため、1日に生産できるチョコレートの量は極めて限られています。
大手メーカーのように製造工程を自動化・合理化することは、Bean to Barの哲学と矛盾するとされ、ほとんどのメーカーが「労働集約的な製造」から脱却できていません。
📄 エビデンス:製造効率の差
● Bean to Barメーカー
・ 使用設備:メランジャー等の小型機器(手作業中心)
・ 製造時間:長い(Bean to Barプロセスは最低でも1週間、時には1ヶ月以上)(Dandelion Chocolate)
・ コスト:製造規模が小さく効率が悪いため製造コストが高止まり(2U chocolate)
・ 設備投資:大規模機器への投資は億単位の費用がかかり困難
● クーベルチュール大手メーカー
・ 自動化技術:スマート製造・自動化を導入し廃棄物削減と効率改善(Mordor Intelligence)
・ 精密技術:精密な「成型・コーティング技術」で均一品質を大量生産
・ 事例:Barry Callebautがマレーシア・ペナン工場の生産能力を大幅増強(2022年)
→ 大手は大規模設備投資と自動化でコスト削減を達成。Bean to Barは手作業中心で効率が低く、コスト高が課題。
結果として、従業員の労働時間は長く、賃金は低く、事業の拡大は困難——という悪循環が生まれています。
📢 課題3: 認知拡大施策の不足
小規模事業者の多くは、**広告宣伝費をかける余裕がありません**。
📄 エビデンス:マーケティング投資の差
● Bean to Barメーカー
・ マーケティング手法:SNS、D2C、クラウドファンディングが中心
・ 特徴:「認知No.1を目指すことが売上よりも重要」という意識が強い
● 大手チョコレートメーカー
・ 明治・ロッテ・森永などは巨額の広告宣伝費を投下
・ マス広告:TV CM、大規模キャンペーンで全国展開
・ ブランド認知:既に高い知名度で市場優位
→ Bean to Barメーカーは限られた予算でPR戦略に注力する一方、大手は巨額の広告費でマス市場を制圧しています。
🔍 根本的な課題:消費者認知の不足
最大の問題は、消費者にBean to Barチョコレートの認知を高め、その魅力を伝えるための広告宣伝費に十分投資できていないことです。
Bean to Barチョコレートの価値——産地ごとの香りの違い、職人の技術、カカオ農家との直接取引、サステナビリティへの貢献——これらは、消費者が「知る」機会がなければ、永遠に伝わりません。
大手メーカーは巨額の広告費で「チョコレート=○○(ブランド名)」というイメージを刷り込んでいます。一方、Bean to Barメーカーは限られた予算で、口コミ・SNS・店舗体験に依存せざるを得ず、マス市場への浸透は極めて困難です。
SNSやクラウドファンディングを活用した草の根的なマーケティングは行われていますが、マス市場への訴求力は弱く、Bean to Barチョコレートの存在を知らない消費者はまだ圧倒的に多いのが現状です。
ダンデライオンのような「体験型店舗」は一定の成功を収めていますが、店舗展開には多額の初期投資が必要であり、多くのメーカーにとって現実的ではありません。
💰 課題4: 最大の矛盾 ―― カカオ農家を救えていない
ここでちょっと寄り道をしますと、Bean to Barチョコレートの最大の理念は、「カカオ農家に適正な価格で対価を支払うこと」でした。
従来のクーベルチュール市場では、チョコレートの販売価格のうち、カカオ農家に支払われるのはわずか**3%**だとされています(CNN報道)。カカオ農家の多くは、1日1ドル以下で生活する「極貧」状態にあります。
Bean to Barメーカーは、「産地直接取引」「フェアトレード」を掲げ、カカオ豆を通常より高い価格で買い付けることを約束しました。
📊 カカオ農家の現実
年収: 約30〜40万円(1世帯あたり、10ヘクタール規模)
極貧ライン: 年収36.5万円以下(世界銀行基準・1日1ドル以下)
多くのカカオ農家は、今も極貧ライン上にいます。
しかし、ここに致命的な矛盾があります。
小規模Bean to Barメーカーは、バイイングパワー(大量購入力)を持っていません。
例えば、あるBean to Barメーカーが年間10トンのカカオ豆を購入するとします。一方、Nestléのような巨大企業は年間数十万トンを購入します。
カカオ農家にとって、どちらが「安定した大口顧客」でしょうか?答えは明白です。
結果として、Bean to Barメーカーが「高値で買い取る」と申し出ても、カカオ農家の経済構造そのものを変えることはできていません。
カカオ豆の大部分は、依然として大手クーベルチュールメーカーに卸される——この構造は、Bean to Barチョコレートが始まる前と何も変わっていないのです。
❌ 小規模メーカーの限界
年間数トン〜数十トンの購入量では、カカオ農家の主要顧客にはなれない
❌ 価格競争力の不足
大手と比較して安定供給と継続取引が保証できず、農家から敬遠される
❌ 流通網の未整備
産地からの輸送、品質管理、在庫管理のインフラが脆弱
❌ 認証コストの負担
フェアトレード認証、オーガニック認証の取得費用を農家に転嫁できない
Bean to Bar 2.0:クラフトシップとスケールの両立を目指す未来
では、Bean to Barチョコレートは失敗だったのでしょうか?
答えは「No」です。
Bean to Barは、確かにチョコレート産業に大きなインパクトを与えました。しかし、次のステージに進むためには、「クラフトシップ」だけでは不十分なのです。
🚀 Bean to Bar 2.0に必要な要素
1️⃣ スケーラビリティ
手作業の美学を保ちながら、生産量を10倍、100倍に拡大できる製造モデルの確立
2️⃣ バイイングパワー
カカオ豆の大量購入により、農家との真の対等な取引関係を構築
3️⃣ 認知拡大
マス市場への訴求力を持つブランディングとマーケティング戦略
4️⃣ 技術革新
発酵・焙煎技術の科学的解明と、品質の安定化・向上
WHOSE CACAOの挑戦 ―― スケールとクラフトの融合
さて、カカオの話に戻りましょう。こうしたBean to Bar 2.0の理念を体現しようとしているのが、WHOSE CACAO(フーズカカオ)です。
WHOSE CACAOは、単なる「小規模クラフトメーカー」ではなく、産地パートナーシップ、技術開発、流通網構築を統合的に推進する「次世代Bean to Barモデル」を目指しています。
- 産地直接投資: インドネシア・スラウェシ島やタイ北部ランパーンの農家と長期パートナーシップを結び、安定した買取価格と技術支援を提供
- 発酵技術の科学化: 微生物科学に基づいた発酵管理により、香気成分を最大化し、品質を安定させる
- ホスピタリティ業界への展開: ホテル・カフェ・レストラン向けに、Bean to Barカカオを「体験価値」として提供
- 教育プログラム: Bean to Barの意義と、カカオ産業の現実を消費者に正しく伝える活動
WHOSE CACAOは、「クラフトシップ」と「スケーラビリティ」の両立を目指す、新しいモデルの実験です。
Bean to Barの未来を、一緒に創りませんか?
WHOSE CACAOは、カカオ農家、製造者、消費者が対等な関係で繋がる「次世代カカオエコシステム」を構築しています。
私たちの取り組みに興味をお持ちの方、ビジネスパートナーシップをご検討の方、ぜひお問い合わせください。
結論:Bean to Barは終わらない、進化する
Bean to Barチョコレートは、確かに多くの課題を抱えています。
しかし、この運動が掲げた「カカオ豆の個性を尊重すること」「生産者との対等な関係を築くこと」「消費者に誠実であること」という理念そのものは、決して間違っていません。
問題は、その理念を実現するための「手段」が不足していたことです。
Bean to Bar 2.0は、クラフトシップの美学を保ちながら、産業としての持続可能性を追求する——そんな新しいフェーズへの挑戦です。
カカオ農家が豊かになり、製造者が情熱を持って働き続けられ、消費者が心から美味しいと感じられるチョコレート。
それを実現するためには、「小規模で美しい」だけでは足りません。**スケール、技術、流通、教育——これらすべてを統合した新しいモデル**が必要なのです。
📌 この記事のまとめ
✅ Bean to Barは「カカオ豆の個性」を復権させた
❌ しかし、市場規模・労働集約・農家支援で限界に直面
🚀 Bean to Bar 2.0は「スケール」と「理念」の両立を目指す